岡本太郎 芸術は爆発だ!

今年の2月26日で岡本太郎の生誕100年ということで、いろいろな企画、美術展、ドラマなどが企画されている。


ファンの一人としては嬉しい限りで、この辺で岡本太郎と私の関わり(なんておこがましいですが)について記しておきたい。


このblogで何回か触れているが、子供の頃、絵画教室に通っていたこともあり、artには少なからず興味を持っていた。
好きな作家は、岡本太郎ピカソ、ダリ、横尾忠則草間弥生マグリットなど、どちらかというと前衛の香りのする作風が好きだ。

子供ながらに、見た瞬間に『突き放される』ような作品を好んでいた(正に、岡本太郎風に言うと「なんだっ!これはっ!」となるのだろうか)ので、
露出度の高いピカソ、ダリ、岡本太郎は、すんなりと「好きな作家」になった。

また、子供心にも「縄文土器」のうねるようなエネルギーが好きな時期があり、岡本太郎も同じような事を言っているのを知り、ますます好きになった。


大人になってからも、太陽の塔には内部が公開された時を含めて2回家族で行ったり、その時の写真を年賀状に使ったりした。
また、ウチの鯉のぼりは岡本太郎デザインのもので、5月になると庭で元気に泳いでいる。
携帯の待ち受けは、岡本太郎の作品で遊ぶ子供達の写真だ。
職業柄、ネクタイをする機会はほとんど無いが、締める時はいつも岡本太郎デザインのネクタイだ。
今では外してしまっているが、車のリアガラスの内側に「太陽の塔」のミニチュアを飾っていたこともあった。
結局、岡本太郎に直接会うことはなかったが、青山で行われたお別れの会「岡本太郎と語る広場」には花束を持って参加した。


その後、縁あって養女の岡本敏子さんとお近づきになる事があり、岡本太郎の作品も頂いたりした。
お別れの会に参加したことを敏子さんに伝えると、「まぁ!あの会に参加した一般の方は少ないのよ!」と、それこそ岡本太郎ばりに目を見開いて
嬉しそうに当時の事を話してくださった。
義父の墓標に岡本太郎の作品名を取って「天空に我あり」と刻ませていただいたが、このことを敏子さんに言い忘れたのが心残りである。
青山で行われた敏子さんのお別れの会「岡本敏子と語る広場」にも参加したが、前に並んでいたジミー大西氏が「寂しいです」と言っていたのが全てを表現していた。


敏子さんが館長をされていた北青山の「岡本太郎記念館」に行くと、毎回、岡本太郎の圧倒的なエネルギー・存在が感じられ、
「ああ、岡本太郎は確かにここにいる。ここにいて敏子さんを見守っているんだな。」と思ったものだ。
敏子さんが亡くなった後は、そのエネルギーの感じも変わり、「敏子さんと手を繋いで天の階段を駆け上っていったんだな。」と思った。


tu me manques.